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天才・岩田聡任天堂社長の経歴と功績

カテゴリー: ビジネス, 小ネタ
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ファミコン、ゲームボーイ、Wii…嫌いだという方は少ないのではないでしょうか。
これらは世界最大規模の大手ゲームメーカー任天堂の製品です。

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子供のみならず大人にも夢を与え続けた任天堂。
この会社を支え続けた岩田聡社長が、
7月11日午前4時47分、胆管腫瘍のため京都市内の病院で逝去されました。
55歳という若さで、世界中がその別れを惜しみました。

その岩田聡社長の経歴と功績をご紹介したいと思います。

高校生で頭角を表した大天才の経歴

16歳(1976年):ヒューレット・パッカード社の電子計算機HP-65でゲームを作成。
18歳(1978年):東京工業大学工学部情報工学科入学
19歳(1979年):株式会社ハル研究所(HAL研究所)にアルバイトで入り、本格的にプログラミングをスタート。
22歳(1982年):東京工業大学工学部情報工学科卒業ハル研究所入社 開発担当社員第一号
32歳(1993年):HAL研究所代表取締役社長就任
ヒューレット・パッカード社に自分が作成したゲームを送ったところ高い評価を受け、「ものすごい高校生がいる」と噂になったそうです。 その後も超難関の東京工業大学に入学、在学中にも大手ゲーム会社であるハル研にアルバイトですが参加するなど、注目される存在であったことは間違いありません。しかし大学を卒業し、そのままハル研に入社することに関してはご両親の反対を受けたそうです。当時は東工大を卒業して子供の玩具を作るなんて、という考えがまだ強かったのです。もしその反対を受けてハル研への入社を断念していたら、一体どれほどのものがこの世に生まれなかったのでしょうか。

「星のカービィ」「おいでよ どうぶつの森」天才が生む斬新なアイディア

岩田社長が4代目社長に就任したのは2002年です。創業一族以外からの抜擢は初めてのことでした。それ以前は任天堂と共同事業を展開していたハル研の社長として、15億円の負債をわずか6年で完済するなど、高い手腕を発揮していました。自ら率先してPRやプロモーション活動を行ったり、社長であるにも関わらず時々プログラミングにも参加し、「星のカービィ」や「大乱闘スマッシュブラザーズ」などのヒット作シリーズを送り出したり、経営再建を成功させました。任天堂の社長に就任した当時、プレイステーション2の大ヒットなど、ソニーにゲーム市場を奪われつつありました。そこで岩田社長は新たな試みをします。それはゲームに関心が薄い大人や女性層を開拓することでした。そうして2004年に生まれたのが直感的に操作できる新たなゲーム機、ニンテンドーDSです。タッチパネルを含めた2画面という斬新なコンセプトの携帯ゲーム機で、ゲーム史上に残る大ヒットを記録しました。対応ソフトも、これまでなかった新ジャンルを次々に開拓しました。大人が学べる「脳を鍛える大人のDSトレーニング」、女の子がかわいいキャラクターたちに魅了された「おいでよ どうぶつの森」、ペットを飼えない女性を癒す「ニンテンドッグス」。これらはすべてミリオンセラーとなり、ゲーム界に新たな旋風を巻き起こしました。最終的に、ニンテンドーDSは全世界で1億5000万台以上を売り上げ、任天堂は再びゲーム市場の中心へと返り咲いたのです。直感的な操作というコンセプトが反映されたのは、携帯ゲーム機だけではありません。2006年に発売されたWiiは、リモコン型コントローラという新たな操作体系を取り入れ、やはりこちらも世界で累計1億台を超える売り上げを記録する大ヒットとなりました。

回したり、息を吹きかけたり、実際にキャラクターにタッチしたり…
これまでとは全く違う新しいゲームの形を作り上げた天才、岩田聡。
彼の残した数々の作品はこれからも任天堂とともに愛され続けることでしょう。

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